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我ら、時 &1

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ozkn.netをご覧のみなさまへ࿁࿀⃝◯⃝⎔ㅇ⎔


とうとう一年間の節目が来てしまいました。

「東京の街が奏でる」が終わって間もない一年前のあの日から

沢山の投稿、驚くほどの閲覧 共にありがとうございました。

おかげさまでみなさんと一緒になって一年の間 この幌馬車の車輪をゆったりと楽しんで廻す事ができました。

この場所は ムラもなく淡々と青々と育って いつのまにか ちょっと他ではみた事のない内容/ムードの空間になっていたと思います。

色々な、本当に色々な人のそれぞれの環境でのさまざまな日常/人生の 灯りの色と光

ともすればついうっかりと見過ごしてしまいがちな ゆらぎや きらめきを

時には立ち止まり さらにじっと見つめ 一時でも自分とはまったく違う世界に想いをこらす時

覗いてくださったみなさんの心の片隅にも 思いもよらない色の 街の灯りがともされた時があったなら

一同とても嬉しく思います。


さて、時間が来てしまいました。我々も日常に還ります。

一年間お付き合いいただき心より感謝いたします。

いつの日にか また お会い出来る事を願って。


ーozkn.net一同


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ps. 最期にmitsukiさんからのこの素晴らしい投稿の再掲をもって 第一期 ozkn.net 結びの言葉にかえさせていただこうと思います。


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わたしたちは空間をつくり続ける」 28 Mar 2013


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例えば、

子どもを寝かせるときに、おはなしをつくりながら、その空間に連れて行くこと。その魔法。
それは、眠りへと、夢の中へ、その間をつなぐ空間。


それぞれに編集された音楽のテープ。
そのなかからきこえてくる、音楽。
言葉がひとの声を通じて流れてくるときのパワー。魔法。
どんな状況でも、ぐっと、心が、ある気持ちに持ち上げられる、ある空間に連れていかれる。


とてもとても落ち込んで、だれも、この気持ちなんかわからない、、
と思っていた気持ちに通じる道筋を見つけた小説。
まるで、暗闇のなか、手を取り合うような、魔法。時空を超えて。


なんでもない会話のなかで、
とてもとても、きらめくような言葉を話してくれること。
それは、その言葉のトーンと共に、胸のなかで、いっぱいに広がる。
それは、しばらく甘く強く保つことのできる空間。


普段はおとなしいまちに、お祭りのときだけ、あやしく興奮する空間の発生。
それが終わるとまた、去って行く空間。

・゜゚・*:.。..。.:’・*:.。. .。.:*・゜゚・*


いのちはどこにあるのかと、体を切り刻んでもみつからないように、
空間はどこにあるのかと、ものを並べても、ものをさがしても、見つからない。

ただ、生じては、消えていく、ただそれを繰り返す。

わたしたちは、それを、知ってるけど、知らないふりをする。

方法は固定できない。ひとは飽きてしまうから。
飽きると空間はすぐにへなる。

その、飽きて、へなる空間を、なんとか保とうとしたとき、
権力だとか、偏見だとかが生まれるように観察される。
そこに、喜びはない。
なぜなら、空間がそこにいないから。ただからっぽなのだ。


・゜゚・*:.。..。.:’・*:.。. .。.:*・゜゚・*


声は、話したところからか、消えていく。けど、続いていく。じゃなかったらはなしなんかできない。

それはつながっていって、ひとつの空間を作る。

それは、種には、花は、茎はないけれど、
育ち、つながってつながって、花を咲かせたり、実になり、そして枯れてゆく現象にも似ている。

聞く側が、よく、理解すると、その、空間は、ズンと、力づよく、発生する。
聞く側が、あまりよくわからなかったら、空間はへなる。

そして、いずれにせよ、それは消えていく。

でもどこかにある。


それは、植物が枯れてしまっても、種をまくように。
また、芽生えるように、

ふとした、かおり、音、感覚で、再び空間がやってくる。

忘れたのじゃない。
その、たくさんのたくさんの空間を、わたしたちは、どこか、ひみつのポケットに、ぱんぱんに、詰め込んでいるのだ。


心細い、どこにも居場所なんかない、、
そういうのは、ただ、空間不足なのだと思う。


わたしたちは、どこかからやってきて、この生をうけて、また、どこかへいく。
ここは、永遠にいることはない。
その当たり前のことを、忘れてるだけだとおもう。


さみしさとか孤独なんかは、どこか帰るところへの郷愁に似たものかもしれない。
だから、死にたくもなる。


でも、現に、空間を感じてる時に、さみしさとか孤独を考えている暇もない。
だから空間をつくり続ける。
それはわたしたち誰もが使うことができる魔法。

たくさんの魔法を。空間を。・゜゚・*:.。..。.:’・*:.。. .。.:*・゜゚・*


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mitsukiさん、ありがとうございます。


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*Illustrations=おなじみsucreusagiさん


sucreさん

Drawcastの時にも大変お世話になりました。

それと先日のお花見 楽しかったですね。

そしてなにより この一年間 沢山の素敵なイラストありがとうございました。

この場をお借りしまして一同改めて御礼申し上げます。

感謝!


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*動画「シャドーギャング劇場✦」 by シャシャミン


シャシャミンさん

ありがとうございました。

なんて可愛いらしい!


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我ら、時  つづく


ー第一期 ozkn.net



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 とても多重な意味で、楽しかったです。運営側、参加側、その中間くらいに位置を取っていた皆んな、また何かしましょう。

 ニューヨークの街にとって大きなスポーツ、バスケットボールでは、シュートがカウントされて、さらにフリースローを得ることを「アンド・ワン」と言います。

 とりあえず、第一試合は終了です。

ありがとう。

 ついに、今夜で第一期終了・・・ということで、前にも投稿してみたことがあったのですが、うまくいかなかったようなので、もう一度送らせていただこうと思いました。

 東京の街が奏でる・・・に行ったのは一年前のエイプリルフールでした。 それなので、本番が始まるまで“ホントだよね?!”と、当選したことが信じられない部分もあったのですが、夢のように、その夜は始まり、一曲一曲を聞いていくうちに十数年の間のいろんな思いが胸に迫り、そして、“今まさにこの、同じ空間のステージで喋って歌っているのは小沢健二なんだ!”という現実を信じよう! いまこの時を濃く記憶に刻みたい!という思いでいっぱいでした。 

 が、嬉しすぎて幸せすぎて、冷静さに欠けていたかもしれません。。。 人に細かくリアルにその夜を伝えることは私には難しそうです。

 こちらのお部屋は、本当に頻繁に覗かせていただいていました。

他の皆さんも書いてらっしゃいましたが、私も、皆さんの文章力、画力、ときには手芸の作品やお料理の写真の投稿もありましたね。

いつも脱帽しておりました。 とても素敵でした。

いろんなところに手作りの温かさのようなものを感じて、小沢君の文章や曲もそうですが、本当に心をこめて書いたり作ったり・・・誠心誠意・・・美しい・・・。 言い当てられてるかわかりませんが、とにかくいつも、“楽しみだな、今日はどんなだろう”とわくわくする場所でした。

ここに来ると、私もいろいろ自分なりに考えていきたいと刺激を受けました。

小沢くんを始め、みなさま、素敵な空間をありがとうございました。

一旦、閉鎖になるのは寂しいですが、私たち各々、またしっかり日常を過ごして、この場所で会いたいですね★

 

 

 

日常に

昨年の「東京の街が奏でる」の後に始まったこのozkn.netは、明日4月24日で「一旦終了」だとのこと。1年間ありがとうございました。仕事終わりや一日の最後にここを観るのが好きでした。                

一人ひとり悲しいこと、嬉しいことが起こったり起こらなかったりの日常を生き、そして毎日は続いてく。一人ひとりに一人ひとりの日常があるということは、あまりに当たり前のことではあるけれど、ここに寄せられた文章や絵や写真、動画などに触れることで、その日常の一端に触れるのはとても心地のよいものでした。知らない遠い街の、知らない誰かの家で、暖かい灯りがともるのを観るような気持ち。知らない街の知らない家の灯りはもちろん目には見えないけれど、でも確かにそれがわかる気持ち。

そのことは、劇的に私の何かを変えるわけではなかったけれど、ここがあるのとないのではやっぱり確実に違っていた、と思うのです。そして、違っていた私でよかった、と思います。

ozkn.netが終わってしまうのはさみしいけれど、キュレーターさんの言うように、泣き声のハクション大魔王の声で終了のお知らせを読めば、さみしいだけじゃなくなるので大丈夫、大丈夫。

 

そういえば、ハクション大魔王にはケンちゃんならぬカンちゃんという少年が出てきて、最終回で魔王は、「いつも遠くでカンちゃんのことを見守っているでごじゃるよー!」というセリフを残して去るらしい。(アニメを見た、という記憶はないけれどなぜか知っているハクション大魔王)

小沢健二さんに向かって「見守っている」なんていうのはおこがましいけれど、ほんのちょっとそんな気持ちもあったりします。

ではまた!   

ただ激しい心をとらえる言葉をロックンロールの中に隠した。

この企画が終わりだっていうじゃない。

だから、去年のあのとき自分のブログにかいた記事をおくってやろうじゃないの。

ロックンロールの定義は知らない。


音楽のジャンル、と言ってしまえばそうなんだけど、
どうやらそれだけには留まれない大きなうねり、哲学があるようなんだ。


きっとそれは人それぞれで、いろいろあるんだとおもう。


痛みや羞恥をさらけ出し、それでも生きていくグルーヴをロックンロールだともおもうし、
痛みや羞恥をひたすら隠し、やせ我慢して最高にかっこつけて生きていくグルーヴをロックンロールだともおもう。


生き方や人生そのものにロックンロールを見いだすことさえできる。


生き方に迷ったときなどには、

ロックンロールでいいんじゃない?などと言われしまえば、

なんとなくなにかが理解できて、弱さも醜さも間違いもすべて肯定されたような気持ちになり、
ふつふつとこの胸に新しい力がわく。


東京の街が奏でる。第三夜。

あの日の空間もたしかにロックンロールだったんだ。


クラシックのコンサートホール、ギターにベース、コーラス、そして4つの弦楽器という音楽空間は、
ジャンルとしてはロックンロールではなかったのかもしれない。


けれど、たしかにまったく新しいロックンロールを感じたんだ。


生命そのものを全肯定のもと、やわらかく優しく祝福していた。

至福、とはこうゆうことを言うのだと理解できた。

ステージで「天使たちのシーン」を歌う小沢健二を見ていたら、
その歌にこめられた優しい叫びが聞こえてしまった気がした。

小沢健二は体全体で優しく叫んでいた。(と思う)

生きろ、と。

死んだタコみたいにふにゃふにゃになった体に力をいれて、
グッと立ち上がって生きろ、と。


そうか、とおもう。

生きることは力を抜くことじゃない、力を入れることだ、って。


力を入れなかったら何にもできない。


咀嚼して飲み込むことも、立つことも、息をすることも、
好きな人に会いに行くことも、歌をうたうことも、
力を入れなかったら何ひとつできやしないのだ。

生きることは力を抜くことじゃない、力を入れることだ。

それに気づいたとき、泣きそうになってしまったけれど、
一回泣いてしまったら嗚咽するまで泣いてしまいそうだったし、大量の鼻水が予想されたので(わたしは泣くと鼻水が大量にでるタイプなのだ)、
がんばって泣かないほうを選んだ。

生きろ。生きろ。生きろ。生きろー!って、
あのいたずらっぽい甘い声でそう言ってるように、わたしには聞こえた気がしたよ。

そしてできるなら、くだらないことばっかみんなで喋りあいながら。


できるなら、ぶどうを食べたりキムチラーメンを探して夜遅くでかけたりしながら。


できるなら、深夜に恋人のことを思って誰かのために祈ったりしながら。


できるなら、めんどくさいことも飛んでっちゃうくらいBASSLINEにのって踊ったりしてみながら。


できるなら、ウキウキ通りを行ったり来たりしながら。


できるなら、そんなありふれた日常にきらめいた色をつけて、
ラブと音楽と美味しいお酒なんかを楽しんだりなんかして、たくさんの言葉に笑いながら涙を流しながら、
嫌いなものもあるけれど好きなものもたくさん抱えながら。


ときにゆたゆたとたゆたうような豊かな時間と、大人になった自分を楽しませるための上質な時間をもち、

喜びを他の誰かと分かりあいながら。

そんなふうに生きていこうよ、って言っている気がしたんだよ。

あなたが生きている事実、わたしが生きている事実。
それこそがロックンロールなんだっておもった。


この心臓が刻むリズムこそが、プリズムのように光が乱反射する小沢健二の130グルーヴよりも熱いんだっておもった。


その熱こそが、この世界を優しくつつむんだ、って。

だってね、わたしには見えたんだよ。3階席真正面から見えていたんだよ。

人が放つ熱が優しく空間をつつんでいたのを。


目に見えるすべてが優しさだった。

 

ありがとう

  今日でこのサイトが一旦終わるということで、

思わずパソコンを開いてしまった。

   今の私は「いとしのエリー」なんか聴いてた頃から

かなりの時を経て、大人になって、ふてくされる事も少なくなった・・・

と思います。

  小沢くんの「犬」「LIFE」など、すべての音楽との出会いが

なければ、今の私は存在していなかったと思う程に熱狂的に何度も何度も

ヘッドフォンで聴いていた。

  そして、現在は11歳の娘と車に乗って、それらの音楽を聴いている。

   (あの頃の私とリンクさせて。)

 オペラシティには縁がなくて行けなかったけど、ひふみよツアーには参加できた。

あの時の13年ぶりに見る小沢くんは、一回りも二回りも大きく見えた。

 それは、後から思えば、「我ら、時」の展覧会で分かった様々な旅の

影響も、エリザベスさんとの生活も全てが繋がっていたのかもしれない。

 小沢くんの旅の話しは、私にとっても感動的だった。

日本国のパスポートは世界に通用する話し。

お正月には必ず餅を食う事。

日本人は英語を上手く話せないと思い込んでいる事。

  名古屋でのスカイプ、別テイクでのドバイの事。

インド映画。

 全てが頭の中で巡り、私となっていく。

 またこういう投稿できるサイトが復活する日を楽しみにしています。

ありがとう

  

 

 

日常にあるすべてのうちのひとつ

同じ音楽を聴く人と出会うと、とても嬉しくなる。

それはとても、個人的なことだから。

そんな感覚が重なる人との時間は、分かり合える喜び、生きる喜び。

生きてるのって大変だけど、でも見つけられた光。

私はずっとずっと、小沢くんの歌を一緒に聴いていた人と、

東京の街が奏でる、で16年ぶりに再会をしました。

あの夢のような、光のような時間に。

時間を越えても、小沢くんの音楽を受け止めるこころは変わらず。

一度無くしたものに、また出会った。

そういう、サークルだった。

そしてまた日常へ。

一年経っても、うまく戻れていません。

喜びは裏腹に苦しさにもなっていたりして、続いている日常の中に、

それも入り込んでしまった。

そんな思いをしている人は、他にもいないのかな・・・と

この一年思ってきました。

1期最後の今日、ここから前を向いて、胸を張って歩いて行くべく、

文章にしてみました。

全部抱えて、その重さに負けないで。

うまく出来ようと出来まいと、歩いて行くために。

そして傍らには、これからもずっと小沢くんの音楽があり続ける。

どうも、ありがとう。

また、会いたいです。

眠れないので書いてみた。

1年間投稿せずにいたけど、メッセージ残したくてつぶやき投稿します。小5の頃ブギーバックを好きになって16年、ひふみよコンサートがあった。そして街奏。オザケンがコンサートするなんて都市伝説と思っていたよ。ひふみよが終わったときは、次のコンサートはまた13年後かもと思っていた。でも街奏行ってみて次のコンサートがいつなんてあまり重要じゃなくて、ビリーブして待つんだのが分かった。

そして毎日は続いてく

あまり文章は得意ではないけれども、ふと思ったことを。

最近ずっと、暗く沈んだ気持ちから抜け出した。

そして、何かをやるにしろやらないにしろ、選択している。
選択している以上、次の選択が訪れるので、やらないことは、
同じ場所にいるということではない。

「やるなら今しかない」もアリだし、やらないものよし。

長く沈んだ気持ちでいた時、抜け出せないことに苦しんでいたけど、
そんな時も進んでいたのだろう。
目の前が暗いから気づかないだけで。

目の前の暗い理由は、本当に暗い底にいることもあれば
ただ目の前を何かで塞いでいるだけってこともある。

こんなことを考えていると、小沢くんの今までの曲のいろんな
歌詞が頭をよぎった。

「夜が深く長い時を超え」「そして毎日は続いてく」
「犬は吠えるがキャラバンは進む」・・・

今さらになって、歌詞や言葉の意味を考えるようになった。

もしかしたら、意味なんて何もないのかもしれない。
けど、今の私にはしっくりとくる言葉が、小沢くんの歌には
ある。

続いていく毎日の中で、沈んだり、楽しんだり、美しい星に
訪れた夕暮れ時の瞬間に感動しながら、これからも進んでいこうと
思う。

フロック

先週からオザケンの曲を聴き始めていまは毎日聴いています。

音楽を聴いていないときにも頭の中で流れているくらいで、本日このサイトを知ったというのに明日、4月24日で終了というのは大変さみしいです。

何となく関係がこじれて永遠に会えなくなってしまったある人が聴いてたCDが「LIFE」だったのを思いだし、ふと聴いてみたのが始めでした。

その人が「LIFE」を好きな気持ちより、私が「LIFE」を好きな気持ちの方が強いと言えるくらい好きになりました。

そしてその人を好きになるよりも「LIFE」の方を好きになってしまったかもしれないと感じています。

サイト終了の直前にこうして出会えたのも素敵な偶然だ、と思っています。

ラブレター

毎日のぞいていたわけじゃないし、読み逃してしまったものも多分たくさんあります。それでもここを見ると必ず、自分の琴線に触れる言葉に出会えました。

この場所を今は、一つの大きな球体、あるいは一つの大きな生き物のように感じています。色んな人の色んな感覚が混ざり合ってるはずなのに、同じ人の書いている同じことのように見えるのは、核にある思いが繋がっているからかもしれません。

またここでお会いしたいです。

4月24日を過ぎたら第二期を待ちながら、ゆっくり読み返します。(全部さかのぼれるんでしょうか)